前回書いた「怪談始末」に続き、同じ著者のシリーズ続編。
但し、正確には「怪談始末」の次に出された「拝み屋郷内 花嫁の家」が絶版状態のため、さらにそれに継ぐ本、ということになる。
ちなみに、この「花嫁の家」、相当に凄い話らしく、評判も良い。
なのに絶版、というのは、あまりにおぞましいため著者も再販を望んではいないのだろうか。
巷では中古本もとんでもないプレミアム価格。
ただ、電子書籍では購入可能になっている。
あまりPCやスマホで怪談を読みたいとは思わないのだけれど(スマホだと特に字が小さくて読めたもんじゃないだろう)、この場合止むを得ないだろうか。
迷う。
ともあれ、ここは「逆さ稲荷」の方。
この本より最初から角川ホラー文庫での登場となる。
これは著者の原点を知ることの出来る一冊。
この人の人となりを知る上では重要な本であると言えるだろう。
幼児期から彼の周囲で起こったことを描いていき、次第に追い詰められるように霊的な存在に苦しめられていく中で、自らが拝み屋として生きていくことを決める、という物語ともなっている。
ある種青春ドラマ、と言えなくもない、全くそんな印象は無いけれど。
著者自身に起きたことは、やはりとりわけ奇妙、とか斬新、というものはあまり無いので、どうしても印象は弱い。
でも、それ以外にも取材した話なども入っているし、著者のことでもクライマックスの話など興味深いネタも時折は存在したので、なかなか読み応えはあった。
「ノブコちゃん」夜の真っ暗な病院、というこの上ないシチュエーション。
そんなところで、まさに劉生の「麗子」のような女の子で超速で突っ走ってくる。
王道の内容ではあるけれど、想像するととんでもなく怖い。
しかも、二人の人間が同時に目撃した、だけでなく、相手はこの存在について何か知っている様子。結局何も教えてはもらえないのでこちらにももやもやが残るばかりではあるけれど、何か余韻が残る話でもある。
「寄生体」植物状態になっている人には、皆こんな不気味な蚊のような代物が取り憑いているのだろうか。偶々この例だけの特殊なものだったのだろうか。
気になる。
怪異の特異な姿が印象に残る。
「超子猫」こんなのがいたら、もう堪らない。飼うのがとても楽そうだし。ペット禁止の我が家のような所でも問題無さそうだ。
それにしても、こいつは何モノだったのだろうか。
体験者はそれを殺してしまったのか。それとも関係なく崩壊してしまったのか。
「お化け屋敷」お化け屋敷も二人の女子高生もこの世のものではなかったようで。
セットの存在なのだろうか。
体験者が一体どこに連れていかれてしまったものなのかがどうにも気になる。
「トシコさん」胸から上だけになりながら、両腕を使って実家を目指す娘。
壮絶な姿で、実際には絶対お目に掛かりたくはないけれど、怖いというよりは、何とも切ない噺。
偶々一人に、ではなく何人にも目撃されている、ということはきっと実際に起こったことなのだろう。
「漂流」偶然通りがかった語り手の事をちゃんと認識していて、後で恨み言を言うためにわざわざ訪問してくる、というのはなかなか。
それ以上のことをされなかったのは幸い、と言えるか。
ただ、語り手としてもどうにもならない、ということはあるし、そんな怒られても、というところだろう。何とも気の毒ではある。
「マヨイガ」好みの一品。
山中にはやはり何かあるのだろうか。
灯りも無いのに目映く明るい部屋、というのはいかにもこの世離れしている。
しかし、
怖い、というよりむしろ神々しい存在のようにも思える。山の神に関わる建物なのではないか。
こんなの、一度見てみたいなあ。語り手にも特に障りは無いようだし。
「おしおき」うーん、これは体験したくない怪異。
この連中にとっては一生忘れられない記憶となった筈で、罰としては粋で効果的な素晴らしいものだと言えるだろう。
全員が塗れてしまう量、となると語り手の産物だけでは足りないだろうから、神さまがブツを追加してくれた、ということか。
「あばら男」この男の風体も怖ろしい。
しかし、一番気になるのは、霊的な者がお金を持っている、ということ。
その金、どうしたのだろう。それともやはり本物ではないのか。
無理とは思うけれど、著者には是非この金を受け取って使ってみて欲しかったところ。
「やぶ寿し」これも実に印象的で好きな作品。
林の中の寿司屋台と江戸弁で粋な職人、というのがもう舞台装置として素晴らしい。
そして最上の経験をさせてもらった、と思ったところから見事な暗転。
何だったのだろう。全く判らない。
でも一度会ってみたい、というより見てみたい気はする。絶対食べちゃあかんけど。
「消せる幻」幼い姿の自分自身に遭遇する。しかも、触ることも出来る。
しかし、評定は固定していてコミュケーションが出来るわけではない。著者自身が幼い時に逆の立場でこの事態に出会った、ということは何も記述が無いのでなかったか少なくとも覚えてはいないのだろう。
書かれているところからは、違う時間の存在が交差している、というものでも無さそうだし。
触っていくと消せてしまう、というのも不思議。
こういうのも、その原因を知りたくて堪らなくなる。どうにもならないこととは知りつつ。
「先駆者」消えてしまった方の体験者も多数の人間と長時間一緒にいたわけで、幻覚などではあり得ない。
しかし、そちらは体験者自身ではない。
やはりドッペルゲンガーというのは実在するのか。
その場合、これはいかなるメカニズムに拠って生じるものなのだろうか。
そして、向こうの体験者はどうなってしまったのか。ただ消えてしまって終わりなのか。
「離魂病」直前の話含め、この手の話では、いつも後から入ってきた方が生き残り、前からいた方はいつの間にか、あるいはその瞬間に消えてしまう、というのが常道。
ここでは、その異変を訴えてきた方の娘さんが消えてしまっている。実に珍しい。
こうなると、ますますドッペルゲンガーとはいかなるものなのか見当も付かなくなる。
さらに、その直後の重体事件も、関係ないとは全く思えない。何故そうなったのか、何で回復でき、その後問題なく過ごせているのかも判らないけれど。
この時、娘さんはもう一人の自分の姿を見たのだろうか。
「代筆」これまたかなり不条理な事例。
筆跡はともかく、他人が著者の代わりに原稿を書く道理もないし、第一、先生によればその朝著者自身が原稿を提出していることになる。
著者がこの時点では二重人格であった可能性を完全に否定は出来ないものの、不可解、としか言いようが無い。
「ひとひらの雪」海外の研究では、霊現象が起きる際には室温の低下が見られる、というものが結構あるようだ。「ゴーストバスターズ」でもそう言われていた。
これもそう考えれば納得のいくものではあるけれど、逆に日本で語られる怪談では滅多にそういう報告はない。
その違いはどこから生まれているのだろうか。
著者が見た夢の話も、夢だから、とは言え、相当にえげつない。
これは本当にただの夢だ、と言ってよいものなのだろうか。
「幻覚寺」語り手と皆の記憶に齟齬が生じてしまっている、という好き系の話。
ただ、この話の場合、神輿でその場所を訪れているわけなので、本来であれば他の人も行っていなければおかしい。自分だけがそこに行く、ということは出来ないからだ。
白昼夢のようにその寺と奥さんの記憶だけを与えられてしまったのだろうか。
でも考えようによっては、現実の存在であるより、幻の存在だと判った方がより尊いものに感じられる気もする。
「幽霊神輿」これこそ「神隠し」の実態を暴く貴重な一例、なのかもしれない。
まあ、神輿が来た、という時点から突如精神に錯乱を来たし、そこから4か月放浪した挙げ句唐突にそれが回復した、という可能性もゼロでは無い。
そうでないとしたら、一体誰にどこへ連れていかれてしまい、何故そこから遠く離れた地で開放されたのか、これまた疑問ばかりが募る。
「暴かれた影」これまで何度も登場してた曾祖母、これが実は人間では無かった、というのには驚愕した。
実話怪談ではなかなかあり得ない壮大な仕掛けが効いた、見事なオチだと言える。
素直にやられた、という感じ。
家族全員が違和感なくその存在を受け入れてしまう。
怪異というのも本当に侮れないものだ。
著者がいつどうして拝み屋になろうとしたのか、それがしっかりと理解できた。
ちょっと唐突のようにも思えるけれど、まあ納得出来る気もする。
ともあれ、この本もこの感想量を見れば一目瞭然なように、かなり満足できる一冊であった。
こっちのシリーズも読んでいかねばなるまい。
拝み屋怪談 逆さ稲荷posted with ヨメレバ郷内 心瞳 KADOKAWA 2015年06月20日頃 楽天ブックスで見る楽天koboで見るAmazonで見るKindleで見るhontoで見る